hjb4n0mbvft
Joined: 10 Sep 2013
Posts: 4724
Read: 0 topics
Warns: 0/10 Location: England
|
|
iphone5カバー ブ& |
|
香川県の山那智山本宮山石鎚山五瀬山雲附山 立石山芳尾山由良山日山堤山 城山角山青ノ山石清尾山勝賀山 王越山貴峰山琴弾山七宝山
下って、大内三山の真ん中にある水主神社にお参りする。境内は自然環境保全林に指定され、巨樹いのり杉(県保存木)がある祭神は倭迹々日百襲姫命である。右の脇社は国玉神社で主神の母神倭国香姫命、奥の孝霊神社は父神孝霊天皇を祀る主神の倭迹々日百襲姫命は名前の通り倭(大和)国の神で、讃岐に漂着されてこの地を開拓されたという。社殿脇に天の磐船(うつぼ船)がありこの船で渡られたとある。三輪山の大物主命(大国主命)の妻でもある本殿の左に熊野三社が祀られている。そして遥拝所があり、ここから熊野を遥拝するのであろうか。本宮山、虎丸山、那智山に祀られている祠は奥の宮ということになるさらに境内に水神社があり、弘法大師の手堀井戸もあるから、本来水神を祀っていたようで、水主神社はここから名付けられたのであろう。上流に大内ダムができて、今はダムの守護神でもある水主神社から与田川を1kmほど下ると風呂という地名がある。昔ここに石風呂があったという。熊野三山には温泉があるので、それに倣って温泉を作ったのである。石風呂温泉は、石を焼いて塩水を掛け、その蒸気に浴する蒸し風呂であった。江戸時代盛時には10軒も宿屋があったという大内ダムを見送って貞任という集落に来る。水主コミュニティーセンターがあり、ここが登山口で駐車場がある(10:40)農道を山の方に向け歩くと堰堤があって、登山口の案内標識がある。やや複雑な地形だが、道は一本道で迷うことなく山頂に着く(10:15)山頂に石祠でなく拝殿(お籠もり堂)のある神社がある。山の名は本宮山だから熊野本宮神社を祀るのであろう。山麓の水主神社に熊野三山神社があるからその奥の宮ということである神社の背後に巨岩があり「くじら石」とある。正面から見ると鯨の顔に見える。脇に小さい石があるから子連れ鯨である。熊野信仰と鯨は関係がなさそうだから、たまたま巨岩が鯨に見えるということで「くじら石」と名付けられたものであろう瀬戸内海沿岸の山は花崗岩の山ばかりだ。讃岐平野は円錐形の山が島のように散在するが、花崗岩の上に堅い玄武岩が乗り、浸食でこのようなピュート形で残ったといわれる。肥料分の乏しい山の植生は貧しく、おまけに雨が少なく、降ってもすぐ海に流れてしまう山では、アカマツが枯れた後はウバメガシの山が多い。ウバメガシがまた保水力が小さく、讃岐は年中水不足である水主コミュニティーセンターに流政之の彫刻「何しょんな」(2001年)がある。笠松小学校廃校記念とある3人の子供(,[url=http://www.iphonecasemini.com/]iphone5カバー ブランド[/url]?)が「何しょんな」と話ながら立っている小さい像である香川県は花崗岩の産地、特に庵治石が有名で、流氏はその庵治町にアトリエを構え、世界的彫刻家として名をなしている有名なのはニューヨーク世界貿易センターの前庭の彫刻「雲の砦」であったが、01年の9.11テロでビルが破壊され撤去された。写真で見る限りだが、「雲の砦」は三角形の山が二つ並んでいる。これは讃岐富士と呼ばれるビュートの山を現していたのではなかろうか、などと思ってみる本宮山山頂で見た「くじら石」は神が造った彫刻で、撫でてみたくなるが、この「何しょんな」は人の造った彫刻で、大人のように見える子供が立っていて、恐いような彫刻だ。作成01年とあるが、この年貿易センタービルはテロにあっている。「何しょんな」とテロ計画を謀っているのではあるまい野間池の上に先ほど登れなかった熊高山が見える。南西に円錐形の山は白山(203m)かこの山は日内山といったようだが、石鎚神社の石祠が祀られて石鎚山と呼ばれるようになったようだ山麓の霊芝寺は弘法大師創建と古く、往古は東林山大岡寺と称していた。延宝4年(1676)高松藩主松平頼常は霊芝寺と改称した。明治山号を東林寺から日内山に改めた松平氏の歴代の菩提寺は法然寺であるが、2代頼常、9代頼恕は儒教による葬儀を望み、当寺に墓所がある説明板には書いてないが、霊芝寺の霊芝は、今は漢方薬、あるいは健康食品として利用されるマンネンタケのことであるが、昔から薬効が知られていたようで、寺名はその霊妙な御利益に預かるということであろうか中腹を巡る八十八ヶ所霊場石仏は、明治初期から中期に設けられたもののようである(14:20)尾根に出ると木製鳥居があり石鎚神社がある。鉄骨造の鞘堂に石祠が納まっている。木板に「天野在の者の協力により新築落成した、昭和56年」と書いてある。天野とは山の北、天野峠のところで、石鎚神社はその天野を見下ろしている登る前登山口を訊いたとき、屋根の見えるあの山に登るのかと訊かれ、よく分からなかったが、見えていたのはこの神社の鞘堂の屋根であったさらに緩く登ればヤマモモの大木が幾本かある山頂に着く15:10)山頂は大きく開け、全周に展望がある,[url=http://www.iphonecase5s.com/]アイフォン5 ケース ブランド[/url]。志度湾を挟んで、五つの峰がある五剣山が一剣山の姿で、その奥に屋島の台地が見える。前回香川県の山で五剣山は八栗寺までいったが登山は禁止であり、屋島は屋島寺まで車で上がった山頂にも石鎚山(愛媛県西条市)の方に向かい石祠がある。晴れていれば石鎚山が見えるのであろうが、今日は靄っている山名の五瀬山は、石鎚山の御前から御前山と呼ばれ、それから転訛したものという。別の説では牛の背のような山で、牛背山と呼ばれ、「ごせ」から五瀬の字を当てたともいうこの山は天野の人の篤志によりきれいに維持されているが、登山道の入口が分かりづらく損をしている山だと思ったが、地元の方には老人ホームの駐車場を借りれば、問題のない山であろう(15:50),[url=http://www.iphonecase5s.com/]iphone5 ケース おすすめ[/url]。
The post has been approved 0 times
|
|